2024-04-12

Windsurfing Stoke for Life ウインドサーフィンを最優先の一生を貫いた福岡さんへの追悼文

 


ウインドサーフィンを始めたその日から声をかけていただき、大きな影響を受けた地元のウインドサーファー、アンダーグラウンドハードコアの福岡さんが天に召されました。あまりに突然だったので仲間はみんなショックを受けていますが多分、つい最近仕事を早期退職し、これからはウインドのことだけを考えて生活できると(今までもずっとそうだった気もしますが)やる気満々だったという福岡さんが一番びっくり、こんなはずじゃなかったと言ってるのではないかと思います。

海で彼のために祈ったけれど。私が彼から受けた影響や与えてもらったものはあまりに大きいので、何か文章にして残しておこうと思い、これを書きました。

残された奥様、福岡さんはみんなに愛され、ウインドサーフィンを誰よりも愛し、海にいる時はいつも幸せそうでした。

福岡さん、本当に今までありがとう、私が感じる海への魅力の根底にあるのは福岡さんはじめ坂ノ下の先輩方の海への思いを見てきたからだと思っています。わかってくれない人もたくさんいるかもしれないけど私は福岡さんが幸せだったのをよくわかるし、私も吹くかさんと同じ理由でとっても幸せです。ありがとうございました。

Windsurfing stoke for life 大好きな福岡さんへ


中学生の時でしょうか、ウインドサーフィンをしたいと思い始めて、いつかは道具を手に入れたいとお金を少しずつ貯め始めました。何かあるたびに次のクリスマスにいくら、お誕生日にはこの人からいくらもらおうとか、お手伝いのアルバイト(草取りとか、草三本ぬいて1円とか)したら六ヶ月後にはいくら貯まるとか、そんなことばかり授業中にノートに書いて計算し、何年先にウインドサーファー艇が帰るなんていう妄想ばかりしていました。


高1の冬に隣に住んでいた外人さんが引っ越す際中古艇を5万円で売ってくれるというので予想よりちょっと早く手に入ることになり、大喜びだったけれど、冬だったのでウエットスーツがないととても寒くて海に出られない。ということで、雑誌の広告で一番安くウエットスーツが買えるところ御徒町のローカスまで行って、残ったお金で買えるロングジョンを買い、そこの店長さんが『その下にこれを着るとかなりあったかいよ』とゴム地でできた袖なし半パンのものをただ同然でくれました。その二つの上にセーターやウインドブレーカーを着て、自宅のお風呂に熱いお湯を溜めてから海に出てどうにも寒くなったら家に走って帰ってお風呂に飛び込むシステムで一冬過ごしました。そして一緒にやろうと誘った3歳年下の従兄弟と交代で、午前中私がやったらストーブでウエットを乾かして午後はいとこ、その安いウエットを二人で交代で使い、その間もう一人は海で見学していました。


そんな最初の頃の思い出はともかく、まさに二人で初めて道具を引きずって由比ヶ浜に行った時、子供が二人で見るからに初めてという様子で出てきたからそこにいた他のウインドサーファーは危ないと思ったのでしょう。すぐ声をかけてきてくれました。危ないからやっちゃダメというのではなく、優しく同じ仲間として声をかけてくれ、いろいろアドバイスをくれました。そのフレンドリーなお兄さんが福岡さんでした。そして道の向かいにあった喫茶店ZINDY LOU というところにみんないつもたむろして、この浜でやってるからねって教えてくれました。まだ子供だった私たちはその喫茶店に遊びに行く勇気もお金もありませんでしたが、それ以来いつ行ってもビーチにいる福岡さんとその仲間たちはいつでもにこやかにいろいろ教えてくれました。私が16歳の時、つまりもう40年以上も前のことになるけど、今でもその時のことははっきり覚えています。


いつ行ってもいるから何をしているのかと思ったら大学生だから学校行かなくても大丈夫だから毎日海にいるって聞いて、それがもしかしたら大学に入れば好きなだけウインドができる!と私が考えた最初のイメージを与えてくれたのかもしれません。とにかくどの日のコンディションや風を聞いても全て覚えていて、福岡さんほど海にいる人はいない、それを彼自身も自慢してましたし、毎日毎日海にいてウインドを楽しんでいました。


もうひとつ今でも覚えているのは夏のある台風の日、私がアメリカ留学から戻ってきたらウインドサーファー艇からみんなファンボードと呼ばれるものに変わっていて、一大カルチャーショック、そんななか台風で大波が割れて押し寄せてくる海、海水浴禁止のビーチでみんな坂の下からショートボードで出て、沖まで果敢に出て行こうとするけど一人また一人と由比ヶ浜に打ち上がっていたこと、できない、きついと言いながらみんな本当にいい笑顔で晴れ晴れとして目が輝いていました。当時ロケット99というモデルが最初に出て、福岡さんだけロケット88という小さめの板にしていた気がしますが、強気に出過ぎて苦労していたような。その後すぐランファンという日本製のも出てきてこれが日本の海にあっていたのかみんながそれに乗りランファン大ブーム、そしてウエイブライディングの時代が来たのでした。


福岡さんは由比ヶ浜坂の下でのオーシャンライフを象徴する人でした。プロでもないし、大会に出ていたという覚えもないけど、誰よりもウインドが好きだと自他共に認めるウインドきちがい、就職もウインドが続けられることを優先し、仕事先で会社にフレックス制度をスタートさせたのもウインドのために彼がきっかけだと聞きました。昇進よりもウインドできる自由を確実に大事にしていました。


出会ったのも一緒にウインドしてもらってたのも大昔のことだけど、いまでも坂の下に行けばあたりまえにみんながいるつもりになってました。そして実際いつもそうだったんです。マウイから戻ってきて久々に坂ノ下行っても、風が吹いてきたらいつものメンバーがちゃんといる。昔と変わらずにこやかででもどこかワイルドな目の輝きを持って海に向かっていく皆さんは私がすごくいいホームだなと思える部分です。

わたしにとっては福岡さんは初めて声をかけてくれたウィンドサーファーだし、好きなことを優先するライフスタイル、妥協せず突き抜ける生き方はいつの時も尊敬、共感を持っていた、大好きな先輩の一人です。みんなが台風のとき坂の下から出て一人また一人と大間からして由比ヶ浜に打ち上がり、それでもみんなめちゃキラキラ目を輝かせて夢中になった波、巻かれた話をしてた時の福岡さんの普段見ない良いなギラギラとした目力もみんなの興奮した様子の昨日のことのように思い出します。ロケット99が出た頃の話ですけどでもそんな皆さんがわたしにビッグウェイブというのは特別ですごいものなんだと感じさせ、その後もそれが自分の目指すところの軸にあったように思います。本当に鮮やかで楽しく、いろんな感情を経験させてくれる人生を皆さんのおかげで続けてくることができました。この歳でまだワクワクしながら海のことばかり考えてるなんて思いもよりませんでしてが、幸せ者だと思っているし、福岡さんも幸せだったんじゃないかなあと思います、まだまだ乗りたりなかったとはおもいますが。ビーナスあたりに献花してこようと思います。

坂ノ下はいつまで経っても私が若手の気分が味わえる、いつまでもその気持ちでいられるよう先輩方にはずっとずっと海で頑張っていただきたいと思っています。私もあちこち痛いですが頑張ります。


福岡さんうまく感謝の気持ちが言葉にまとまりませんが、本当に本当にありがとうございました。

坂の下由比ヶ浜のアンダーグラウンドヒーロー、ほんとに突き抜けててかっこいいスタイル、ずっと見本にしていきます。

2024-03-09

ラハイナレポート#28 12月7日

 ラハイナレポート#28 — 心からの感謝を込めて


みなさん、こんにちは。ずっとご無沙汰してしまいました。

日本は寒くなってると思いますが、みなさん、おげんきですか?
マウイも常夏とはいえ冬の季節に入ったと感じることが多々あります。

まずは日が短くなって、7時ごろまで明るくならないこと。そして朝晩少し冷えること。夏の間は毎日吹き荒れたトレードウインドは吹いたり、止んだり。そして雨が多くなり、虹もたくさん見れるようになりました。雨が多いのはジメジメして嫌ですが、虹を見ると雨があるから虹が見れるのだ、大変な時期があるからこそ嬉しいことの喜びも増すのだと、励まされる思いで、1日ラッキーな気持ちになります。

さて、お知らせしたいニュース。日本からの応援もたくさんいただいています。本当にたくさん、書ききれない、まとめきれないくらいです。ありがとうございます。今回はこちらの現状の要点だけ書かせてください。

あと数日で火災から4ヶ月がたとうとしています。島の北側、ラハイナから反対側は山を隔てて、被害も全くなく、今も以前と変わらない様子で通常の生活ができています。被災地側から来ると、その違いを目の当たりにして、何事も起こらなかったかのような錯覚を感じたり、同じ島なのにどうしてこんなにも違うのか、とギャップにショックを受けてしまうとも聞きました。ほんとにそれくらい違います。

ラハイナにあった元々の家には住めなくなり、こちら側に引っ越してきた方々や一時的に住んでいる方も多いです。被災してしまった方々が抱えている苦労は一つ一つ挙げればきりがないほどたくさんありますが、全体的に見て、今一番の問題は住宅問題です。火事が起こった時点で誰もが予想し、困惑していたものでもあるのですが、引き続き一番の問題であることは変わりがありません。もともと火災が起きる以前から、住宅問題はありました。バケーションレンタルとして高額で貸した方が利益になることもあり、長期で借りれる家、住める家が本当になくて、大きな問題になっていました。そこに、火災で何千という世帯が住む場所を失ってしまった。

借りれる家が見つかりやっとスタート地点に立った気持ちや、新しい仕事を始めた、などの嬉しいニュースも耳にする一方、赤十字から支援されているホテル住まいに滞在しながらも、いつ出なくてはならないかと常に不安が消えないとか、支援やハブの閉鎖があるとだんだん忘れられていってしまう気がして気持ちが落ち込むと言った声も入ってきています。

マウイはハワイ州知事の宣言通り観光客に対して全面的にオープン、ウエストサイドも私たち住民もが入れないところ以外はどこでも行ける状態でカアナパリやナピリのホテルも観光客が増えてきました。観光で成り立っているところもある島なので、それはそれでいいことなのでしょうけれども、観光客の宿泊のためにホテルに住んでいる被災者の人が急に出るように言われたりすることも多く、出る日になっても次どこに住めるのか知らされていない(一応出なくてはならない場合、必ずホームレスにならないよう次の居場所を用意すると政府は宣言してくれています)など本当に不安が募る出来事も多いようです。

まずはタイニーハウスと呼ばれる仮設住宅をたくさん作って、というプロジェクトもあったのですが、なぜか政府はあまり乗り気ではなく、(多分それがその後も残ってしまい住宅に関する条例に沿わない家が増えてしまうということだからでしょうか)ボランティアで一生懸命作ってくれてる人たち、教会が敷地を提供してコミュニティーとして何十世帯も住めるようなものを作ろうとしたりはしているのですがあまりニュースには出てこないし、政府の支援を受けてやってるようには見えないのが現状です。東北の震災でも小さな仮設住宅がたくさん並んでいていました。もちろん自宅とは違いますが、その記憶から、私は小さくても落ち着いて住めるスペースをみんなが確保できることを心から祈っています。

やはりみなさんの一番の望みは、元々住んでいた場所に家を立ててすみたい、ということですが、燃えてしまった場所、元の場所に家を再建するまでにはまだまだしばらくかかりそうなので、少しでも早く、その望みが実現するようなサポート体制が作られていってほしいと思います。

観光客に対してオープンしたのが早すぎた、だからホテルから出なくてはならず住むところがない、この状況に対して手を打ってほしいとカアナパリには平和的なレジスタンス行為として住民がテントを張り、ハワイの旗を立ててアピールしていますが、政府はそれに関して数週間何も行動を起こしませんでした。しかし何かしなくてはどうにもなりません。短期レンタルをしているところを長期で貸すように多くの人に声がけしていたのですが、何かメリットがないとなかなかそうはしてくれない。そんな中、昨日の記者会見ではマウイ市長が法案 131 の承認に向けて進められていると発表されました。この法案は避難家族に長期住宅を提供するため、短期賃貸所有者に不動産税の 100% 免除を奨励するというものです。正直言ってそんなことしなくてもみんなが協力してくれれば国民の税金使わずにすんでいいのにな、と思う気持ちもありますが、この法案が最終承認されれば、このプログラムは2024年1月1日から1月31日まで登録申請の受け付けを開始し、早ければ2024年2月1日から家族に長期住宅の選択肢を提供することができるとのことです。またこの法案は住宅不足問題に対する解決案の一つであり、他にも住戸を追加する、モジュール住宅のオプション、迅速化できる潜在的な住宅プロジェクトも含まれているとのことでした。

なかなか進展がない住宅問題にフラストレーションを溜めている人も多いですが、政府も今までになかった状況に対応するために精一杯考えて動こうとしているのは感じられます。だからお互い反目し合わずに協力しあって前に進んでいけるよう、自分のことだけを考えるのでなくみんなが幸せになれる形を探っていけますように。

ゴーファンドミーもはじまってから四ヶ月になります。
いまだに寄付が送られ続けていることだって奇跡のようなものです。他のところはどこもグッと減ったと聞いています。ニュースにもならないくらいですから当然ですが、みなさんが行動を起こしてくださり、寄付をしてくださり、それをみてさらにまた多くの人が興味を持ってその人たちも寄付してくださったり。また、会社や団体が寄付先を私たちのところに選んでくれることで寄付が続いています。本当にありがたいことだし、私たちも寄付が続く限りはこのサイトを運営し、寄付がなくなっても支援が必要であればそれはその時に、みなさんからいただいたいろんなアイデアや方法を使って私たちがさらに動いてお金を集めることもできるよねと話しています。まだ忙しくてガレージセールやイベントも現地では一つも開催していないんです。東北の時はそこから始まったのですが、だから私たちもまだまだ余力はあります。
マウイにまできてボランティアをしてくださってる方もいらっしゃいます。行為自体よりその気持ちにみんなが助けられ、励まされていると思います。遠くに居ても、お金がなくても祈り、心を寄せてくれてるだけで何かが動きます。それは信じているというより確信に近いです。確信できるのはみなさんのおかげです。

本当にありがとうございます。

この数日中に必ずもっと詳しいレポート書き上げてアップしますね。

心からの感謝を込めて。


画像1: 燃えてしまった幼稚園のかわりに被災者のために新しい幼稚園をワイルク地区に作る計画で私たちも支援しているIMUA Family Service  が動いています。






画像2: 住宅問題をもっと真剣にかんがえてほしいという住民の思い。カアナパリのビーチでテントを張るという行動で示している。
画像3: 燃えてしまった住宅地
画像4: カアナパリビーチにテントと旗を立てて住宅不足への対応をアピールするラハイナ住民たち

画像5: ビセン市長 住宅問題への解決に向けて住民の意見を聞きながら進めようと努力している。
画像6: 被災者の意見を市長に伝えるためのコミュニティーミーティング






ラハイナレポート#27 11月15日

 ラハイナレポート#27 — 会計のアップデート③


みなさま、こんにちは。
本日は会計を担当してくれているチームメンバーからアップデートさせていただきます。
ご一読いただければ幸いです。
———————————
こんにちは。
間が空いてしまって申し訳ありません。会計報告第3弾です。
今日現在(11/13/2023)GoFundMeにて寄付頂いた総額は$184,240 に
も達しました。
マウイ島で直接私達に寄付を託して下さった$1,840 を加えますと、合計で$186,080 となります。

この中には、日本でPray For Mauiのステッカーを販売してくださったり、お店やイベント等で募金箱を設置してくださった方々のおかげで集まった寄付も多々含まれております。本当にありがたいことだと思っています。

お預かりした支援金を今のところどのように使わせて頂いたかを、簡単ですが表形式でまとめました。添付の画像をどうぞご覧ください。

この先も引き続き、出来る限り被災者の方々へ直接支援が届くような方法を模索しながら、皆さまからお預かりした支援金をお届けしていく予定です。

皆さまからのご支援、本当に感謝いたします!

引き続きどうぞ宜しくお願い致します。

ラハイナレポート#26 11月8日

 ラハイナレポート#26 — Mele for Maui 


みなさん、こんばんは。今回は音楽についてです。
苦しいことを乗り越えるとき、音楽は人の心を癒し、助けてくれるのは世界共通。
例えばアフリカン・ミュージック、ブルース、現代ではパンクも、苦しい社会で押しつぶされそうな若者たちの叫びが音楽になった、と考えられるかもしれません。日本各地でも、辛い労働の際に励ましあうように歌う民謡、祈りを捧げるための音楽など、たくさんあります。苦労や悲しい出来事が多かった地域や民族から、本当に素晴らしい音楽が生まれるということも聞きますが、確かにそうだと納得させられるところがあります。
https://www.youtube.com/watch?v=9lWSIuHqiOk&t=5s
ハワイアンも音楽が常に生活の中にありました。フラも神に捧げる祈りだし、農業や漁猟と同様、生活の一部だと思います。キリスト教のミッションの流入と共に、ハワイ語やハワイ文化すべてが禁止され、フラを踊ったり、歌を歌うと鞭で打たれてしまうような歴史を経てきたハワイですが、幸いここ数十年でハワイアンとしての誇り、文化や歴史を大事にしようとする運動が大きくなり、ハワイの素晴らしい文化が消滅してしまう危機は逃れました。

火事が起きた直後から、多くのミュージシャンやたくさんの人々が悲しみを癒すための歌や音楽を奏でる投稿をおこなっていました。そうやって届けられる音楽は、いつも以上に自分の心に響いてきたように思います。今となってはもう大昔のように感じてしまいますが、火災が起きてからたった12日後という異例のスピードで開催された、大きなミュージックフェスティバルMaui Olaはオンラインでライブ中継もある素晴らしいものでした。多くのミュージシャンが立ち上がり、企画や運営、会場、音響、カメラ、設営などあらゆること全てボランティアで実行され、そのイベントだけで1億円近い寄付を集めたのです。今でもそのコンサートの様子はYOU TUBEで見ることができます。
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=er12hSr3-u0

その後も個人でのチャリティーイベントや大きなチャリティーコンサートが行われました。被災者が大勢避難していたウエストマウイに直接出向き、ビーチぎわのテントで演奏する有名なバンドやミュージシャンも多かったし、マウイの最も大きなパフォーマンス会場であるMACC はチャリティーライブやイベントをほとんど毎週のように開催してきました。この12月17日にもマウイ在住の若手ミュージシャン、ルーカス・ネルソンが声をかけ、LOKAHIという大きなライブを開催します。ジャック・ジョンソン、リリー・メオラ、ポーラ・フガ、ドノヴァン・フランケンライター、など若い層に人気のミュージシャンが集まります。被災したみんなで力を合わせてこれからも乗り切っていこうと声を揃えて歌う光景もよく目にします。ラハイナの人たちが涙を流しながら、ラハイナルナの校歌を合唱している様子などを見て私も涙を流しました。

音楽は遠くにいても心に届く、物資は送れなくても想いは届けられる、そんな気持ちでハワイの音楽を奏でた人も多いのではないかと思います。今回私たちの寄付サイトに支援を送ってくださった方々の中にも、フラや音楽のライブの収益やウクレレのオンラインレッスンをしました、などと音楽関係で寄付を送ってくださった方も多いのです。

心の奥底にある悲しみと向き合いながらもその苦しみを小さくしてくれる、心を癒してくれる音楽。そして美しいラハイナやクラの景色が目に浮かんでくるような曲は私たちの想いを一つにし、本当に癒してくれ、音楽のパワーを実感することができました。SNSなどでシェアされたそういった音楽の投稿はそのうち#MeleforMaui というハッシュタグで括られ、マウイのために祈り歌う人たちをサーチできるようになりました。私もそのハッシュタグを通じて、子供たちからプロのミュージシャンまで、さまざまな場所のいろんな人の思いがこもった音楽やフラを聴きながら心が癒されてきました。
https://hawaiiwatchlive.com/vid/oh-lahaina/
ハワイアン・ミュージック、ハワイアン・レゲエ、日本にはハワイの音楽が大好きな方も多いはず。
ラハイナを思い起こさせる曲や伝統的な音楽をいくつかここにリストアップしておきました、もしよかったら聞いて見てください。火事以降に生まれた曲もたくさんあります。

Lahaina Grown /Lahaina Grown (ラハイナルナ高校出身のグループ)
火事以降最も多くの人に歌われている曲の一つだと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=iSsN1laZwh8

E O Maui /Kealii Reichel 
日本で最も有名なフラダンサーでありハワイアンミュージックアーチストの一人。ラハイナルナ高校出身
https://www.youtube.com/watch?v=lsO7019TLzE

O Kou Aloha 
ラハイナルア高校に作者John K Lake本人から送られた校歌
https://www.youtube.com/watch?v=dzZlroeTwO0

Lahainaluna /ケアリイレイシェル作 (卒業生) 
ラハイナルナ高校の校歌
https://www.youtube.com/watch?v=_eMI70E32FA

Starting All Over Again /Israel Kamakawiwo'ole
https://www.youtube.com/watch?v=NGD87BETjkI

Island Style /John Cruz
https://www.youtube.com/watch?v=5G05N2UDwyw

Hawaii '78 Kahuila wai /Israel Kamakawiwo'ole
https://www.youtube.com/watch?v=HVuvKIFa6kc

My island home Maui /Ekolu
https://www.youtube.com/watch?v=Txhkch5AbtI

My island Maui /Marvin Tavega
https://www.youtube.com/watch?v=eQ_bkQx_f3Y

Today is new day /Common Kings
https://www.youtube.com/watch?v=gRrHSPsa-j4

Fish and Poi/ Sean Na'auao  
https://www.youtube.com/watch?v=pGpteUCfJJQ

【火事以降にリリースされた曲】
Lahaina Ohana /Jimmy Levy 
https://www.youtube.com/watch?v=LiKCeCUMahs

To Close to Home /Kolohe Kai
https://www.youtube.com/watch?v=h2nJqMNcNAU

For Lahaina /Akoni
https://www.youtube.com/watch?v=mc6yP3b0jjk

More than a fire /O-shen son of Oahu
https://www.youtube.com/watch?v=DR2IdGhrk1w

美しい音楽を聞きながらぜひマウイのことを想い、祈り続けていただければと思います。


画像1: チャリティーや支援にいつも参加してくれるジャック・ジョンソンとポーラ・フガ


画像2: ラハイナルナ高校の仲間で結成されたラハイナ・グロウン バンド。Lahaina Grown はかつてないほどラハイナの住民の誇りと共に歌われている。



画像3,4: 急に準備したとは思えない程の規模のコンサートMaui Ola。すべてボランティアだった。


画像5: 12月に開催されるbenefitコンサートLokahi のポスター


画像6: 火事直後、毎日物資をウエストサイドに運ぶボランティア活動で頑張ってくれていたルーカスはマウイのサーファーたちの仲間の一人でもある。左はこれもマウイで生まれ育ったのリリー・メオラ





2024-01-13

ラハイナレポート#25 10月31日 True butterfly effect in Aoshima




 ラハイナレポート#25 — True Butterfly Effect in Aoshima


みなさん、おはようございます。
バタフライエフェクトという言葉をご存知ですか?

バタフライエフェクトとは、ある気象学者が講演で『ブラジルでの蝶 (バタフライ) のはばたきがテキサスに竜巻を引き起こす』と表現したことが由来の言葉で、「些細な出来事が後の思いもよらない大きな出来事のきっかけとなる」という意味を持ちます。

もう20年近くも前のことになりますが、海が大好きな18歳の女の子、タティアナ・ハワードがマウイでバタフライエフェクトというイベントを始めました。さまざまなスポーツに取り組む女性たちが集まり、競い合うのではなく、仲良くお互いを励ましあいながら海での知識や喜びを共有することがができたら素晴らしいではないかという想いが発端です。第一回はたしか12名くらい、ウインドサーファー仲間を中心に風に乗ってあるスタート地点からゴールまで一緒に下っていくという海でのアクティビティーの他、ヨガや一緒に食事をするという陸での親睦会もありました。とても評判が良く、その後、毎年どんどん参加者の数が膨れ上がり、一時期は300人以上のが参加し、一週間続くイベントになり、マウイで一番人が集まるイベントと言われるまでになりました。

世界中で同じコンセプトのバタフライエフェクトが開催され、ドミニカ共和国、タヒチ、カリフォルニア、カナダ、スイスなどでも開催されてきました。日本でも、もう8年前になるのでしょうか。宮崎の青島で3年連続で開催されました。まさに海が大好きな女性が全国から集まり、「好きなことを仕事にしたい」「目標を持ってる人がその目標を実現できるように励ましたい」そんな女性たちのための場でありたいという気持ちで開催されたイベントは、青島だったからこそあれだけ成功したのだと思っています。青島の地元の皆さんがこのイベントに協力してくださり、ボランティアでたくさん動いて参加者を楽しませてくれました。「あのイベントがきっかけで仕事を辞めて独立した」「繋がりができていろんな依頼が来るようになった」「各地のイベントに呼ばれるようになった」こんな声を聞くと本当にやって良かったと思います。私自身も一生の付き合いになるであろうたくさんの友人を得ることができ、今でも親しく交流が続いています。バタフライエフェクトから青島が好きになり移住した人、何度も遊びに行く人も大勢います。青島は私にとってもそしてバタフライエフェクトファミリーにとってもとても大切な場所なのです。

今回マウイで火災が起きた直後から青島の皆さんからの個人的な寄付が届き始めました。心配してメッセージをくれる方も大勢いました。それだけでも嬉しいのに、その後仲間内で「バタフライエフェクトで縁があるマウイだからこそ青島の仲間が集まって何かやろうじゃないか」という発想になっていると聞いて本当に涙が出るほど嬉しかったです。


中心になってオーガナイズしてくれた伊藤智彦さんはバタフライエフェクトの時も宿を提供してくださったり、いろんな方を紹介してくれた強力な助っ人の一人でした。One Hawaiian Day というタイトルで全てチャリティーのイベントをやろうと声をかけたら大勢の人が賛同してくれ、バタフライエフェクトのフライヤーの絵をデザインしてくれたあやちゃんが今回のイベントポスターのデザインからそのデザインTシャツ、ロゴ入りグッズなどを作ってくれました。バタフライエフェクトの会場だったSurfCity Miyazaki はたくさんの人から届けられたドネーショングッズを販売するバザーを担当してくださり、そのドネーショングッズの豪華なこと!ここにも仲良しの仲間からの商品がたくさん寄付されていました。(個人的な名前は書きませんが、みんなありがとう)
バタフライエフェクトで仲良くなった仲間だけでも大勢みんな関わってくれてるのに、それだけではなく、会ったこともない方たち、海を愛する人たち、ハワイが好きな人たち、本当にたくさんの方がいろんな形で関わってくださっているのを知り、何度も何度も準備期間中の様子を聞くだけで感動していました。10月3日に実際に開催された時の映像や写真を見たら、皆さんの素晴らしい笑顔や楽しむ様子に、本当に宮崎とマウイに虹のかけ橋がかかっているような感覚になりました。映像も、写真も、プロの素晴らしいものながら全てボランティア。パドルアウトのセーフティやみんなをリードしてくれたアスリートたちもみんなボランティア。フラや音楽の演奏をしてくれた方もボランティア。それどころかパフォーマンスをした上に寄付もしてくださった方も大勢いらしたそうです。

以前開催していたバタフライエフェクト以上に大きなイベントになったようで、20年近く前に海好きの女の子と繋がりたいとマウイで小さな羽を羽ばたいたタティアナの行動は海を超えて、海でつながり、大きな大きなポジティブエネルギーのうねりとなって青島からマウイにビッグウエイブを届けてくれました。もっと早くレポートしたかったのですが、あまりにいろんな思いが溢れてうまく文章がまとまらず、時間がかかりました。本当にこのイベントに関わってくださった方一人一人に直接お礼をお伝えしたい気持ちです。こんなにたくさんの人が関わってオーガナイズも大変だったでしょうと中心になってくれた伊藤さんに話したところ、みんなの気持ちが同じ方に向いていたからとてもスムーズにみんな快く賛同し、行動してくれたんですよとおっしゃっていました。

今回のイベント内容を見ていろんな方がいろんな形で支援できるのだなあととても参考になりました。いつもお金がないから大した寄付ができないことに引け目を感じていたけれど、創造性を駆使して、自分の得意分野で何かすることで貢献できるんだ、とアイデアをたくさんいただきました。そしてどんなに小さな支援でも、その小さな支援が集まると大きな力になることをすごく実感しています。

金額だけでなく、何か行動に起こすということや思いやる気持ちだけでも十分支援につながるのだということも。これは私がこの火災支援をとおして一番感じていることです。寄付を募る側になってみて感じたのは、金額ではなく(もちろんお金がないとどうにもならないのも事実なのですが)皆さんからの思いや祈りをエネルギーにして、さらにまた次にがんばることができるのです。青島のイベントでたくさんの人が思いを一つにして送ってくれたエネルギーは、本当にわたしたちにさらなるモチベーションを与えてくれ、「よし!また頑張ろう」という気持ちにさせてくれます。現地にいる私たちだけでなく日本全国で応援してくれてる仲間を感じることは本当に心強く、それは金額の大小に関わらずありがたいものです。

青島のイベントは支援の形の一例です。ここには書ききれないほど、ありとあらゆる場所からいろんな形で支援する方法を考えて寄付を送ってくださってる方がたくさんいます。最近もアメリカ各地に在住している日本人会や趣味のクラブで寄付を集めましたという方や、「少しですが」とイベントやステッカー販売での支援金が集まっては送ってくださる方も。そうそう、田中律子さんを通して紹介していただいた沖縄ヨガフェスタも、参加者皆さんに声をかけてたくさんの寄付を集めてくださったり、お店の一角にマウイ支援コーナーを作って、販売されたものの収益が寄付になるというスタイルも多くの方が実践してくださっています。本当にこの支援が草の根活動で成り立っていることに私たちは感謝し、誇りを感じています。これからも無理のない範囲でみんなで負担をわけありながら大勢で支援活動を続けていければと思っておりますので、ぜひ末長く見守っていてください。

本当に皆さんありがとうございます。

青島の皆さんにもし何かあったら必ずマウイがバックアップしますからね!私の心の中では青島とマウイはもう姉妹都市です。ほんとにありがとうございます。青島のみなさん、アロハのスピリットを形にして送ってくれて本当にありがとう。これからもどうぞよろしく!

画像1: One Hawaii Day in Aoshima 開催内容
画像2-5: 以前青島で開催されたバタフライエフェクトのイベントのフライヤーと参加者
画像6: One Hawaiian Day  発起人の伊藤智彦さん
画像7: One Hawaiian Dayの様子
画像8,9: パドルアウトの様子
画像10: 田中律子さんたち主催の沖縄ヨガフェスタの様子

ラハイナレポート#2410月26日 マウイのあちこちで感じるアロハ

ラハイナレポート#24 マウイのあちこちで感じるアロハ

先日被災し、全てが燃えてしまったお寺Lahaina Shingon Missionが、御大師講をラハイナのビーチパークで行っている写真をFacebookに投稿していました。私たちも状況を度々お聞きして、ホテル暮らしで不自由して大変な気苦労があったのをよく知っていたのでそんな中で一歩前に進み始めたとご住職様が思える出来事として、海の前で信者の方々と手を合わせている様子は心の底から感動し嬉しい気持ちで心が満たされました。

今まで当たり前だったもの、日常が全て一瞬でなくなってしまった時の精神状態は想像することもできません。お寺の設備もなにもない、そんな中でなんとか前に進もうとする姿勢、そして自分と家族だけでなく、お寺を心の支えにしてきたラハイナの人たち(もう2度とこの輪に入ってこられない亡くなられた方も含めて)のことを本当に心から思ってらっしゃるのが伝わります。
「キャンプ用の椅子を並べて持ち運べるお焼香でお香をたきました。しばらくはこのスタイルになりそうです」とのメッセージをいただきました。
大事なのは立派なお寺でなく儀式でもなく、純粋に手をあわせることができる信仰ということだと思います。必ずラハイナに立派なお寺が復活するよう私たちも末長く見守り応援していきたいと思います。

すでに毎週土曜日のファーマーズマーケットでベジラーメンを復活させている Alohana Vegan Ramenも先日パイアのカフェで寿司ナイトを開催。多くのファン、お友達が久しぶりに元は寿司シェフのスッシーさんが作ったお寿司を食べながら会話とドリンクを楽しんでました。

秋に毎年開催されるMade in Mauiというイベントは島の外からバイヤーが来るほどの大きなクラフトフェアーでローカルアーチストたちの作品が並ぶのですが、今年は被災したラハイナの住民はブース料金を払わずに出店することができます。被災した日本人の方も何人かがこのイベントに参加予定。これまでファーマーズマーケットやポップアップイベントで販売していた手作りアクセサリーなどを出すのでそのために今全力を上げて準備中だそうです。
皆さんそれぞれ少しずつショック状態から次のフェーズに、前に進むために動いています。それも書類や保険などの手続きもたくさんある忙しい中でやっていくので、大変だろうと思います。

日本の皆さんからの寄付はいろんな形で支援に使われていますが(もうすぐ第3回目の会計報告をお届けしますね)先日はラハイナ方面に住んでいる家族で就学中のお子さんがいる方に応援金としていくらか送りました。実際に家が燃えてなくても学校が燃えてしまい通っていた学校がなくなってしまったとか、遠い学校に通うので送り迎えが大変、私立の学校でお金がかかる、そしてお子さんも新しい学校に馴染めない、いく学校が見つからないなど色々苦労も少なくないようなので、被災した市内に関わらずお子さんがいる方という括りでお渡しできました。その中のお一人からお礼のお手紙をいただきました。

「本日、息子がとても有難い子供支援金を頂戴いたしました。手渡そうとした時、息子は一瞬戸惑ったような遠慮がちな表情を見せたのですが、Pray for Maui from Japanの皆様のお心遣いを伝えると笑顔になり、『それなら!』と喜んで受け取りました。その時に思い知らされたんです、色々ガマンさせていたんだと。ラハイナの大火災以来、両親共に仕事を失ったことで強いられた不便さに対して一言も不平不満を口にしなかった息子に『自由に使いなね!』と言ってあげることが出来たこと、心から感謝しています。
目に見えぬ大勢の方々からのご厚意に対して、そのお一人お一人にお礼をしたい気持ちでいっぱいなのですが、頂いたご恩を一生胸に抱いて、別の新たな機会でお返しすると言いますか、『ご恩送りをしていこう』と、息子と良い会話ができました。」

そんなふうに親子で話をしてくださったと思うと本当に贈ることができてよかったなと思います。寄付してくださった皆さんのおかげです。


先週末ラハイナのHALEZEN というブティックの倉庫エリアで被災者のために大きなショッピングイベントが開催されました。Hale Zenのラハイナのお店は焼けてしまいましたけれど倉庫は燃えなかったのでそのエリア全体を使っての開催でした。
「最初はものを失ってしまった人たちに何か少しだけでもプレゼントしたい、そんな気持ちで知り合いに声をかけ始めたんだけど、どんどん賛同してくれる人や会社、ブランドが増えてきて、びっくりするほど大きなイベントになってしまったの、でもそれはとても喜ばしいこと。このイベントに私がすごく思い入れがあったからみんなが喜んでくれるのが本当に嬉しいし、いいバイブレーションでいっぱい、ボランティアもほんとうにたくさんの人がきてくれたのよ」とオーガナイズの中心人物モーリー・レニーが言っていましたが、彼女と夫のカイ・レニー(世界的に有名なプロのウオーターマン)は双子の女の子を一年ちょっと前に授かったばかり、親となり火災で受けたであろう子供達や家族の心の傷も人ごとではないのでしょう。
オアフからプロサーファーも応援に来たり、とにかくたくさんのブランド物が並べられ、ウエアだけでなく、アクセサリーやローション、化粧品、靴などとにかくありとあらゆる新品のグッズがあふれる店内、そして外にはいろんなフードテントがならんでいました。ラハイナのローカル誰もが愛するナガサコストアの懐かしい味、スパムむすび、支援活動が忙しすぎて本業が追いついてないくらいのWaikomo Ice 、スケートボードやサーフボードを提供してくれるBoard4Buddies (50本持ってきた全ての板が誰かしらの手に渡ったそうです)そのほかにもローカルのスモールビジネスのたくさんのサポートで全てが無料、Foodbankからの食材などとにかく最高に楽しいショッピンングを楽しんでもらえました。全てをうしなってしまった家族が普通の生活の気分をすこしでも味わえるようにと開催。
でも参加した被災者の人に聞くと
「もちろん新品の、下手したら普段は買えないくらいのものをたくさんもらえてそれも嬉しいのだけど、それよりもこんなにも多くの人たちが、マウイだけでなくいろんなところのひとたちが自分たちのことを思ってくれて、動いてくれてるそのことを感じられることが本当に本当に嬉しいんだ」と言っていました。寄付もそうだけどものを通じて向こう側にいる相手の心が感じられるのは本当に嬉しいと思います。

マウイを代表するサーファーの一人カイ・レニーは一年中大忙しで波や風を追いかけ、何千万人というフォロワーがいる有名なサーファーですが、今回の火災、そしてその後の支援活動は自分の人生をガラッと変えたといいます。もちろん今までも家族のことは大事に思っていたけれど、コミュニティーにできることは色々してきたつもりだけど、人生への向き合い方が変わるほどの大きな出来事だったそうです。マウイに住む被災した人たち一人一人が元のように笑顔で生活できるようになるまでは必ず彼らに寄り添い支援を続けることを心に誓ったそうです。最初の一ヶ月は彼は被災地で寝泊まりしながらラハイナのために24時間体制で動いていた上に、彼の発信力、影響力を利用して世界中にいろんなことを伝え初期の支援活動を進めてくれました。
彼以外にもたくさんのローカルの若手がそういったコミュニティーワークに献身的に動いてくれてるのを見ると素晴らしい人たちが育っているなあと誇りに思えるし、きっとこれからもマウイは大丈夫!と将来に光が見える思いです。

ハワイ出身のMMAファイターILIMANATOR ことイリマ・マクファーレンはラハイナのために一人で260万ドルも集めました。多くの人が多額の寄付をしてくれていますが、それを裏で売名行為だとか、あのお金はどこに使うのかわかったものじゃないとか色々言いたがる人がいて、そのバッシングの中には本当に心を酷く傷つけるものもあるようです。

たとえばアクアマンなどで有名な人気俳優ジェイソン・モモアもハワイ出身でマウイにも関わりの深い人ですが何か一言いうだけで影響力も大きいし、注目度も高いのでバッシングされることも多く、それが嫌で大っぴらに動かなくなってしまいました。こういうふうに良心で動こうとしている人を無名でインターネット上でいいたい放題バッシングすることはネガティブなエネルギーを生むだけです。それどころかバッシングが嫌だからと支援しようと思ってた人がやめてしまったらほんとうにもったいない。
ひどいバッシングにあってもそこはさすがファイター、イリマネイターは理解してもらおうと努力しているし、できる限り全てクリアにお金がどこに使われるのかを明示しています。自分にはいっさい入ってこないお金のためにこれだけバッシングされたら、じゃあ、やーめた!といいたくなってしまうところを彼女はファイター精神でしっかり戦い抜いているのを見て、素晴らしいなと尊敬せずにはいられません。私だったらすぐに尻尾巻いて押し入れに隠れて泣いているでしょう。

レベルも寄付の金額も全く違いますが、私も寄付を集めることを決めた時ある程度バッシングがあるだろうと覚悟をした上で始めました。私にとって大きな強みは全く同じ思いで動いてくれてるメンバーがいたことでした。一人だったら悩んでしまったかもしれない時にどんなことでも話し合って大体同じ意見だったこと、意見の違いはあっても全てが前向き、ポジティブなものばかりだったので一緒に頑張ってこれたと思います。コアメンバーは4人でしたがマウイ中の日本人がいつもなんらかの形でサポートしてくれてるのを感じられていたのでマウイ在住日本人みんながチームだと思って動いていますし、それを誇りに思っています。

ありがたいことに、今回はほとんどバッシングもなく、反対に信頼してるので一番いいと思う形で使ってくださいと言ってくださる方が多く、それがお金以上の後押しになりました。そういうたくさんの人の気持ちを被災者の方にも伝えて、ただのお金でなく、たくさんの人の祈りと思いが込められたパワフルなお金なんだと感じてもらえたらと思っています。
私たち支援チームの面々ですら皆さんからの思いや励ましに元気もらってさらに頑張れるのですから被災した方々も絶対そうだと思うのです。
そうやって会ったこともない人同士が繋がってその輪が広がっていくと、やっぱり世界は一つで、一人一人がみんな幸せになってこそ真の平和が訪れるのだろうなあ、と実感します。自分さえ良ければ、では本当の幸せは来ないんですよね、きっと。世界レベルで考える時が遠くなりますが、せめてマウイの中のラハイナという小さな世界で一人も取り残されることなく、復興が進んでいくことを心から願い、そのために私たちも力を尽くしたいと思います。

写真
1枚目ラハイナのビーチパークで御大師講を行うLahaina Shingon Mission のみなさん。
2、3枚目 パイアのカフェで寿司ナイトを開催したAlohana Vegan ramen 
4枚目ラハイナの被災者が思い切りショッピングを気兼ねなく楽しめるようにと開催された無料イベント。驚くほどのブランド品がたくさん。
5枚目 ラハイナローカルなら誰もが懐かしく思うナガサコストアのスパムむすびを配る可愛い売り子さん。
6枚目ラハイナショッピングイベント、大勢の人が集まった。
7枚目 Boards4Buddies サーフボードやスケートボードをなくした人にボードを届けたい、イベントにブースを出して持ち込んだ五十本全てが被災者の手に渡った。
8枚目 ラハイナショッピングイベントを企画運営したモーリーレニーとそのご主人カイ・レニー二人とも火災以後ずっといろんな形で支援活動を続けている。

9、10枚目 MMAファイター元ワールドチャンピオンのイリマ・マクファーレン。彼女は支援金260万ドル(4億円近く)ラハイナのために集めました。