2012-06-21

6月18日 波上がるも風強すぎ。

今日も風はかなり強い。サウススウエルは上がってきているらしいがどこもものすごい風で良くないと聞いたので一日仕事に専念、といいたいところだが、なんだか少し体調が良くない。風邪でダウンというほどではなく、なんとなくだるくて節々が痛いだけ。
いまいち仕事もはかどらずすっきりしない一日だった。

こんなことならちょっとカイトでもしに行って塩水で菌を流してしまったほうが良かったかな?

ところで今日本では福井の原発再稼動 で国全体の意見が二分されているようだ。ネガティブなことを言うのは嫌だがでも今は自分の意見をはっきり持つべきだと思うし、そのためにはいろんな情報が飛び交う中で偏ったものだけでなくいろんな事実を知り、その上で自分の意見を持つことが大事だと思う。

まだまだ私には学ぶべきことが多いし、いろんな仕組みを知りもしないでといわれるかもしれないが、私の意見は、やはり、絶対に再稼動反対。経済が成り立たない、とかこの夏の電力が足りなくなる、確かにそうかもしれない、でも、まず自分たちの手に終えない危険を持つものが生活の基盤に。ったことからして間違っていたのだと思う、だからそれがなくなったときに大変な思いをしてでも、一から間違っていた基盤を作り直していくべきときだと思う。
それに原発がすべて止まっている現在、電力は何の不足もしていない。そしてまだまだ私達は節電できるところがあると思う。そしてこの一年で以下に電力会社と政府がいろんなことをカクしてきたか、隠そうとしてきたかがわかってしまった今、なかなか彼らの言うことをそのまま信じる気になれないのも本音だ。
でも信頼関係がなかったらいい関係は絶対作れない、だからこれからでもいいから国民に対して誠実な態度で物事を進めてほしいなと思う。

原発再稼動を反対する人たちの中には、そうなった場合に金銭面で得する人はゼロだろう、でも再稼動させようとしている人の理由には実際福島で大変な思いをしている人たち、そして万が一事故がまた起こったときの危険に対しての誠実な気持ちが感じられない、そして再稼動したら得をする人たちばかりのような気がする。確かに雇用の問題、経済援助されて潤っていた自治体が苦しくなったりもあるだろうし、当事者たちは地元で反対したくても友達を失ったりご近所づきあいが出来なくなることを心配したりもするだろう。単純な話でないことはわかるしそれぞれも気持ちもわかる、でも一番根本の何かあったら大変なのにそれを安全に処理するのに何万年もかかるようなものはやはり使うべきではない。
震災の津波で海岸線はすべてのものがなくなった。でもそれでも人間て強いもので 何とか立ち直っていく。そして復活する。でも福島はその前進からある意味取り残されてしまっている。自分が住んでいたところに近づくことも出来ず、見えない放射能におびえながら、食べるものにも天気にも覚えて家の中にこもりがちの生活させられている人の前で、まあ、私が責任をもつと堂々と行言ってしまえる首相はまあ、ずいぶんとすごい人だと思う。たぶんあまり苦労している人の身になって考えていないからなんだろうな。デモ福島の人、と人事のように思っていてはいけないんだと思う、たまたま福島で起こっただけで、どこででも起こりうること、そしてほんとに東日本全体が住めない場所になった可能性があり、そうだったとしたら、私たちも自分のすんでいる場所を捨てて、どこかまったく知らないところに逃げなくてはいけなくなったり、今まで築いてきたと思っていた生活をすべてゼロに戻さなくてはならなくなることもありえるのだから。

福井で2200人ほど集まったデモ、首相官邸での1万2千人のデモもニュースにはほとんど出ていないと聞いた。本当に不思議な国だ。でもたぶんこれからはどんどん変わっていくはずだ。ニュースは新聞やテレビだけで見るものではなくなってきている、実際私もインターネットや友人たちのメールや書き込み、フェイスブックでこういうことを知るわけで、いくらいろんなブログをブロックしようとしても限りがあるし、いろんな人がいろんな意見を発表しているし、それにアクセスできる時代なのだ。1万2千人でもニュースにならないんなら3万人が動けばいい、それでもだめなら5万人だ、と反対にみんなさらに動こうというモチベーションをあげている気もする。なんだかいい流れが生まれているような気がする。

自分の意見をしっかりもち、そして一人一人が責任を持ってこれからの日本の方向性にかかわっていく時代なのだろう。そうでなくてはいけないのかもしれない。
政治なんてやだやだって思ってたけどそうやってかかわってこなかった自分自身のツケが今ある状況なのだ。
なんでもまじめに受け取りわからないなりにわかろうとすることが大事だと思う。そして自分のことだけでなく、人のこと、周りのこと、世界中のことが実は自分にかかわってくるのだということを理論的にでなく実感をして感じながら生きていくこと。それがないと、人事でいろんなことが終わってしまうのだと思う。
津波で町ごと流された地域は悲惨でも復興への望みがある。が、原発事故で放射性物質を浴びた地域にはその望みもない。その気持ちをわかっているのだろうか?そういう人たちがいることを知りつつ国の人たちのためには再稼動しなくては、となぜいえるのだろう、同じ日本に住む人たちなのに。私にはどう考えても再稼動することが正しいようには思えない。


私の友人のスノーボーダーたちもどうしても何かやらずにはいられない、と福井のデモに参加したらしい、そのときの感想を読んで、私は心から共鳴できた。たぶんわたしが参加しても同じ気持ちになったんじゃないかと思う。
その中で

一昔前とは色々状況が違うし、新しい未来への地図も出来そうな今、もうその理論、選択は古い。要らないよ。日本人は原発の悲惨さをもう十分知ってるし、それを世界に伝える立場だよ。
生活を楽にするために電気をコントロールするはずが、電気の為に生活をコントロールされるのはおかしいよ。」



うん、おかしい。
だから、ただ反対反対、じゃなくて、自分にできることを小さいことでもやりつつ、自分の意見をしっかり持てるよう何が起こってるか勉強し、おかしいと思う世界にいるのではなくおかしいと思わずにすむ世界を作る側の小さな力でありたいと思う。長くなってしまったけど、いつもいつも何かというと気になって頭から離れない、福島の人たちがいったいどんな思いで一連のニュースを聴いているのだろうかと思うと申し訳ない気持ちになる。



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