2011-01-28

1月27日 Seth Kantner

(エアポートの裏にあるカイトビーチで再会を喜ぶ私とセス)
昨日いろいろがんばりすぎたせいで、朝起きると体中痛くて動くのもままならない、いちいち動くたびにうんうんうなってしまいそうなくらいからだが痛い。朝から風が上がりそうだったので今日はサーフィンはお休みにし、11時のカイトに向けて準備。波は十分あり、セットは結構なサイズ、もしかしたらサイズアップしたかもしれない。残念ながら昨日の安定した風は一日限りで終了らしく、今日はまたオフショア気味。
久しぶりにレインズで昔から一緒に乗ってたディランとエリオットが早々とでていった。二人がレインズに来ると私はなんだかやけに嬉しい。二人とも上手なのはもちろんだが、やはりレインズで乗り始めたころからずっと彼らを見ながらいろいろ教わってきたから。レインズでダントツ一番乗っていたエリオットは最近フィルミングの仕事で大忙し、でもシェイン・ドリアンやケリー・スレーターなどとビッグアイランドで撮影したりとすばらしい経験をつんでいるようだ。
オフショアにちょっとビビりながらも私も出艇、今日は1時に空港にいかなくてはならないのですこししか乗れないから早く出ないとならないのだ。インサイドは弱かったが、思ったほど暴力的なかぜではなく、気をつけて乗っていれば問題はなかった。波は二つのうねりがミックスしているような感じでウエストスウエルとノースが一緒になった感じだった。どちらにしても一番大きなウエストスウエルのセットはレインズではほとんどクローズアウト、私はノーススウエルっぽいものを選んで乗るようにしていたけどなかなか思ったようなライディングは出来なかった。でも楽しかったからいいや。

そろそろ上がらないとまずいかな、とビーチに戻って時間を聞くとすでに1時5分前。大慌てで片付けて着替えもせずにぬれたまま空港へ直行、同じことを何度してきたことだろうか、幸運にも待ち合わせている友人セスも荷物のトラブルで時間がかかっているようだった。
セス・キャントナーはアラスカコッツビューに住む友人でライター、もう10年くらいあっていなかったのだが今日飛行機の乗換えで数時間時間があるという連絡があり、久々の再会となった。
彼と初めて会ったのは、星野道夫さんが亡くなった後、彼の足跡をたどろうという取材をしたときのこと。
星野サンは生前、カリブーの移動の写真などを撮るためンい、セスが住んでいたブルックス山脈のふもと、コバックリバー沿いに来ることが多かった。星野さんの本にもセすのことはちょこちょこ出てくるが、本当に純粋で、複雑で、暗い部分と希望を捨てられずにいる部分、そしてつらいことをすべてユーモアでかき消そうとする彼独特の(実はそれはエスキモーの文化であるらしいのだが)スタイルがとても人間的で興味深い。
私たちがアンブラーという小さな村を訪れたとき彼は30マイルほど離れた荒野にある土のイグルーに住んでいた。ちょうどスノーモービルで移動するには雪が解けすぎ、かといって川を船で移動するには氷が多すぎるという季節だった。無線で私たちが星野さんの足跡をたどるために村を訪れていると聞いて約20時間深い雪、春のとけかけたざくざくの雪の中をももまで来る長靴で夜通し(といっても北極圏なので白夜で暗くはならないが)歩き続けてアンブラーまで出てきてくれた。私たちが帰る飛行機がでる2時間ほど前にやっと着いた彼は、ほとんど凍傷にかかりかけ、疲労困ばいの状態でスノーモービルに乗っけられてやってきた。足の筋肉が硬直しまともに歩けないほどだった彼とはほんの20分くらいしか話す時間がなかったのだが、彼の目の光にぶつかったとき、なぜか、この人とはこれから長い間友人でい続けるな、という直感があった。

彼とはその後2回しかあったことはないのだが、めったに連絡をしないにもかかわらずありがたいことに10年あった今でもこうやって友人関係でい続けている。ライターであり、共通点もあればまったく違う点もある。お互いの生活や世界がまったく違うからこそ、心の奥底の思いを吐き出しあえるのかもしれないが、同じライターとして理解しあえる部分や刺激をもらうことなども多く、話がとまらない。彼は話し上手とは決していえない内気で口数の少ない人だが、なぜか私は彼のことを深く理解しているような気がするのだ。彼は私たちが似たもの同志だというと否定するが、私は私たちがとっても似ている気がする。彼はとても暗い部分があり、文章も暗いテーマを扱うが、その中にどうしても消すことの出来ない希望や愛の渇望を感じる。反対に私はどちらかというと明るいテーマしか書かないが、その裏にはもしかしたら自分の暗い部分を否定したくてそうしているのではないかという気持ちもある。私の稚拙でいい加減な分と彼の文章を比べるのは失礼だとは思うけれど。

どちらにしても彼と話していると心から素直になれるし、いいたいことが言える。この10年で時間を過ごしたのはたたの3回だというのに、セスは私のよき理解者であり、私たちは何かを共有しているという実感がある。

ビーチで私が作ってきたランチとゆで卵、そして彼のもっていたカリブーの干し肉を食べながら語り合ったほんの2時間。とてもお互いの近況を知るには時間が足りなすぎた。

一番近い村まで30マイル、まったく何もない荒野にある土のイグルーで生活しながら自給自足、ハンティングとギャザリングの暮らしを送っていたセス。熊やカリブーやムースが通り過ぎるのは日常茶飯事だけれども人間が通り過ぎると、それはもう一大イベントで、人間だけは扱い方に慣れていなかったから近づきたいのに思わず逃げ出してしまったりしていたという少年時代。誰よりも自然の中にいることが好きでそうでないと生きていけないような人なのに、カビや花粉のアレルギーを持ってるのでハワイでは森の中や自然にあふれたところにいけないらしい。愛すべき矛盾だらけのところは彼の性格、そして人生そのものだ。

彼の著作「Ordinary Wolves」は文芸賞をもらったすばらしい作品、特にアラスカが好きな人、アラスカ、原野に興味を持っている人たちには大きく評価されている。アウトドアに強い私の友人たちの中には彼の作品のファンも大勢いる。
英語だが、お勧めの本。大勢の人や流行の言葉、表現などにふれずに育った彼ならではのとても個性あふれる表現力や言葉の使い方には同じライターとして「やられた!やるなあ!」というかんじ。うらやましいような気持ちをぬぐいきれない。

今新しい小説を執筆中らしい、いつもフィクションではあるが完全に自分の経験や思いを元に書いている彼の作品を私は今から心待ちにしている。

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